忍者ブログ
Drummer,BeatMaker, 御木惇史 a.k.a.難病BEAT声蔵の Deepでいなたいずるむけ日記。
[20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27]  [28]  [29]  [30
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

変換時期というのは誰でもくる。

対自分のね。常に変化しているものだから。全てが年をとるにつれ進化するとは限らないと思っているけど。

そう、変換時期。
そんなときにのろけているとチャンスを逃してしまう。

なんだか感覚って面白いけど、『面白い感覚』っていうのが日本にいるとあまり見えない気がする。
なんとなくだけど。
もちろん、クリエイティヴな現場も、ダイヤの原石も、物凄いアーティストもいっぱいいるし、埋もれていると思うけど、『日常の中』という意味の話でね。

今日も飛行機の機内の中でキャビンアテンダントって言うんだっけ?スチュワーデス。
が踊りながら非常口や酸素ボンベ、非難用救命胴衣の着け方などを説明してた。。
ダンスミュージックに乗せて踊る。

あんなの日本人が乗ってたら苦情になるか、日本でやったらつまらないことが多そうだ。

笑い(ユーモア)って紙一重っていうか、
それを楽しめるかどうかが鍵になってくるというか。

お葬式でも笑える時だっけあるかもしれないし。

どうしても、固執している人は、より孤立するような風潮が日本人にはある。

なんでもまんべんなくね。バランスよくね。と教える。同じ色のカメレオンだよ。

1人1人顔が違うのが意味がない。

どこかの国と同じだ。

何かを今すぐしろってわけじゃないけど、
日常の中で、金がなくたって楽しめることは、気づけることはたくさんある。

自分の足元、近い存在、目の前のお店や人だって、創業100年とか歴史があり、何でも知っている職人だったりする。言えばプロ中のプロだ。
看板は汚いし、雰囲気は物腰柔らかいお婆ちゃんだったりするけど、ものすごいもの背負ってる。
すでに違う角度でもう見ているんだろう。

傍観者でも意味がないし、体験するだけでも意味がない。分析しないと・・。

そんな近くにも、TVでも知れない、うわさでも知れない、素晴らしい世界が待っている。

くだらない、つまらない今日の事や、めんどくさいこと。
明日が嫌だなってこと。そんなくだらないことを考えているのはチャンスを逃していることになる。

もったいない。

もっと想像を働かせたほうがいい。外へね。ストレス以外の何者でもないと思う。そんな日常は窮屈だ。

表面的なことばかりでしょ。自分の中身から改革しろよ。って思うよ。

でも、本当にすごい時代だから、何でも揃うし、自分で好きなものをチョイスできる。

同じ色にする必要は全く無い。

フリースタイルも同じ。笑いも、芸術もそうだと思う。
今楽しめるかどうかが鍵だし、そこでつまんない顔してる奴はクソして寝ろ。
辞めたほうがいい。
じゃあ、自分ならどう楽しむ?どう参加するんだ?っていう次のステップが幾らでもあるんだから。

ビジネスの前にそこが根底だよ。

くだらないことをしてる人が何もしてない人とは限らない。

そういう感覚はいつも大切にしたい。

-生-

拍手[0回]

PR

最高に旅しないとね。いぇー。

-声蔵-

拍手[0回]

ご苦労様でした。

ありがとう。

-NBS-

拍手[0回]

っていうのは大事でさ、

去年作曲した『動』は今までの色んな経験や見てきたものをMixさせて作ったんだけど、
僕にとって『空間』とか『間』とか『匂い』とか『響き』とかっていうものがすごく大事にしてきたんだと思う。

それは小さい頃から見ていた『鼓童』やアースセレブレーションね。
佐渡島には毎年家族で行ってた。大きい芝生の広場みたいな空間に野外ステージを組んで、
毎年海外の一流アーティストとかを呼ぶフェスティバルなんだけど、
開場の際に、ものすっごい待つんだ。明治神宮の初詣みたいに息できないくらいびっしり。
それも夕方から並ぶんだけど、山奥だからすぐ真っ暗になる。それもすごく急な坂道でさぁ。
汗かいて登るんだけど、その間の家族の時間っていうのかなぁ、なんか、なーんにもしてない時間?
そういうのがいいんだよなぁーそういう記憶が残ってる。

そして、一番前の方で太鼓見るんだけど、すぐ寝ちゃうんだよ俺は。

そして、終わってから起きるという。。

でも、寝てる間にも体全体で浴びてたんだなぁ。音を。

メンバーの方々も仲良くしてもらっていて、当時スターだったなぁ。

本当、今では看板背負ってベテランで活動なさっていますけれども、
そういうことがあっての太鼓に興味が湧くというか。そのときはあまり興味なかったんですけど。

それから民謡歌手の伊藤多喜雄さん。
この人のコンサートにも相当足を運びました。
なんというか、心に刻まれているよね。

黒人なら、ジャズやゴスペルなんかがそうかもしれないけど、
自分にとっては、太鼓とか民謡とか、盆踊りとかがそうで、そこの畑で培ったものというのは計り知れないなと。
間とかって考えて出来るものでも、計算して作れるものでもない。

体で覚えろってそういうことなんだろうね。

それで話を『動』という曲に戻すと、自分の中のぐちゃぐちゃしたものから殺ぎ落とす作業をすると、
どうしても残るもの、大切にしたいものってやっぱり『唄』だった。

それは聴く人によったらただの『リズム』にしか、『打楽器』にしか聴こえないものかもしれないけど、
聴いていくと本当に深い世界もあるわけで、なんでもそうだと思うけどね、
自分の中の『感覚』をもっと外の人に聴かせたいと思うようになった。

唄って人によって違うけど、どの国の人も同じだと思う。
民族でも、人間だから。

人間だから。

心地よいものっていう波動はやっぱり『ポイント』があるし、必ず周期があるものだよね。

体のツボと同じというか。

気持ちイイものってそうだよね。

どんなにうるさくても、騒がしくても違うんだよな。心地いいものと本当にうざったいものって。

コラム-NBS-0305

拍手[0回]

重い荷物を持ち上げる『よいしょっ』と声が自然と出る。

たまんないね。

おじいちゃんがおばあちゃんが重い腰を上げ今日も歩く・・・
お洒落して、どこへ?太陽を見に。

たまんないね。

重いもんなのに、軽いもん持つみたいにやっても意味がないんだよな。

絶対声出ちゃうもん。腰入れるもんな。

なんでそうなってしまうのかが分からない。疑問だなぁ。

そこまで掘り下げようとしてない。必要としてないんだろう。見る側もやる側も。

演奏・技法などの話になるんだけどね。

それが格好良いとは思えない1人である。

伝統とか、流派は、壊す人もいれば、保守的な人もいるよね。

保守的はいい面もたくさんあると思うけど。

でも、やる人も、見る人も、身をもって感じなきゃ意味がないんだよな。

今日羽田の国際ターミナルへ行ったけど、EDO、NIHON!、KABUKI!!NINJA!!
ずくしのグッズが並んでたけど、どこまで理解してるんだろうか。

作る側も。見る側も。

根底は大事だよ。それを評価することはもっと大事だよ。

流されず、何とかっぽいとかじゃなくさ、ちゃんと目で見ないと。

拍手[0回]

カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[10/08 モンクレール 春夏]
[05/13 backlink service]
[01/27 Atsushi.M]
[01/25 横ちん]
[01/19 Atsushi.M]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
Seizo a.k.a. NBS
性別:
男性
職業:
職人
バーコード
ブログ内検索
カウンター
カウンター
忍者ブログ [PR]